抽象的権利と法律による具体化

  • Day:2012.03.12 15:16
  • Cat:憲法
 前回の憲法の記事の続きについてはまた時間があるときに書こうと思います。

 今日は、昨日電車の中で小山の作法を読みながらふと思ったことがありました。

 抽象的権利といわれる生存権について、立法をもって具体化はされているが、その程度が25条が要請するレベルに達しているか疑義があるというような場合には、国民の側で争っていっても基本的には勝ち目がない、すなわち国側は責任を問われない可能性が高い。

 それに対して、一旦立法によって実現された(たとえば経済的弱者に対する金銭給付)場合、これを縮減するためには比較的厳格な要件をクリアしなければ25条違反となる、すなわち、国側は責任を問われる可能性が高い。

 この議論というのは、一度生存権実現の方向にベクトルが伸びたら以降後退は許されない、というものであって、生存権実現についての不可逆性を示しています。一旦実現させたのであれば後戻りはできないよ、という感じ。これは一見、国民の権利保障に厚い考え方であるようにも見えます。

 しかしよくよく考えると、そうでもないような気がします。なぜなら、生存権の具体化は第一次的には立法府の判断に委ねられているからです。立法の前段階において「制度後退は原則として不可」とわかっていたら、立法府はどういう手法を採るでしょうか。後から縮減による修正を加えることができない以上、おそらく、一発目から十分な生存権実現立法はせず、それを下回るラインの実現からスタートして、その後そこに少しづつ上乗せしていって適切な給付ラインに到達することを目指す、というアプローチを採るのではないでしょうか。

 一方で、一旦立法により実現した給付の額を後から減らすことも自由にできる、ということになれば、立法府としても、とりあえず大きく出ておいて、あとで様子を見ながら縮減して適正なラインを探っていくというアプローチも選択肢としてありということになります。

 25条の精神からいけば後者のほうが好ましいでしょう。このように、制度後退を許すことにはメリットもあり、その裏返しとして、制度後退の禁止の徹底にはデメリットもあります。

 ではどうすればいいかといえば、最低限度の生活を実現する部分(1項)についてはその内容が比較的明確であるから、この実現についての立法府の裁量は狭いのに対して、それ以上のよりよい生活の実現(2項)についての立法府の裁量は広い、という、25条1項2項分離論の考え方を応用する手法が考えられると思います。すなわち、1項が保障する権利が立法をもって実現された場合には、それを縮減する際には厳格な要件をクリアしなければいけないとしながら、一方で、2項の保障内容を実現したものについては、その縮減についても立法府に広い裁量が与えられる、と考えるのです。こう考えることで、かなりの程度で、制度後退禁止によるデメリットを緩和できるのではないでしょうか。

 
 とりあえず今回実感したのは、今までの予備校の指導で与えられた思考枠組みがいかに硬直的なものだったかということです。生存権を実現する立法の具体的な中身を検討せずして、およそ、「生存権は一度立法をもって実現された場合、厳格な要件をクリアしない限りこれを減縮することは許されない」と考えるのはまずいのではないでしょうか。
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