行為無価値と違法性連帯の原則

  • Day:2012.03.03 01:55
  • Cat:刑法
 法律エントリ一発目としては前々から疑問に思っている刑法上の原則について書きたいと思います。勉強不足で、まだ自分の中でも結論を出せずにいる疑問点なので、ブログを見てくださっている方の中に詳しい方がいらっしゃったら、是非、コメントをいただきたいです。

 「違法は連帯的に、責任は個別的に」。前半が違法性連帯の原則を指していて、正犯につき違法性が阻却される場合に狭義の共犯についても違法性が阻却されるのか、という論点等で理由付けに使われます。
 
 この違法性連帯の原則は行為無価値論を採用した場合にも、なお妥当するものなのでしょうか。
 
 原則的な結果無価値の立場においては、構成要件該当性・違法性阻却の検討の段階では主観的要件は取り入れず、あくまで、違法性の有無は客観的要素から判断しようとします。客観的要素とは、誰から見ても変わらない絶対的・事実的なもの(「甲がナイフで乙を刺した」「乙が死亡した」等)であり、従って、これを基礎として判断される違法性も、客観性・絶対性・事実性を持ったものとなります。結果無価値の下では、誰の目から見ても違法は違法であって、ここに「違法は連帯的に」の原則の根拠を見いだすことができます。

 一方、行為無価値の立場においては、違法性の有無を判断するためには行為者の主観的要素を加味することが必要だと考えます。行為無価値の下での違法性概念は、主観的・相対的・規範的なものです。大谷先生は防衛の意思に関してはその連帯性を否定していますが、この考え方は、行為無価値論の下でも違法性連帯の原則が妥当するのか、その理論的根拠が怪しいことを示唆しているように思います。
 また、行為無価値の立場から説かれる折衷的相当因果関係説の下では、行為者によって因果関係の有無につき差が生じることが少なからずあります。この結論が正当化されるのは、因果関係という構成要件要素は、事実的なものではなく規範的なものであると理解されているからです。ここではまさに、違法要素を「個別的に」検討することが自然視されています。

 行為無価値の井田先生の教科書でも、特にこの点について詳細には触れていませんので、試験対策上はそれほど実益のある議論ではないのかもしれません。。が、答案に書く以上は、前もってしっかり理解しておかないと気持ち悪いですね(^^;)
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Comment

僕もよくわからないのですが…。
今年ロースクールを受験する若輩者で失礼いたします。

ゼミで発言する度に指導教授から「ひどい!ジョークだねぇ~…。」といつも怒られます。その点ご斟酌くださいませ。

①防衛の意思は過剰防衛(36条2項)においても見られるように、あくまでも違法性の程度に関する問題であり実質的違法性に関連する問題ではないように思いますが…。

「違法の連帯 責任の個別化」の原則における違法とは専ら違法性の有無をいい、違法性の程度まで含むものではないのですから、その帰結として連帯は生じ得ないということではないでしょうか。


②規範的構成要件における「違法要素」とはあくまでも構成要件の要素をなす類型的違法ということであり、違法性の段階で判定される「実質的違法」ということではないように思うのですが…。


失礼いたします。

  • 2012/03/08 00:45
  • 会社法大好き。
  • URL
議論に乗ってきていただけて天にも昇る思いです^^はりきって反論させていただきたいと思います!

 まず、一点目についてですが、行為無価値論の立場から防衛の意思を必要とする学説は、違法性の実質(実質的違法性)を『①社会的相当性を欠く②法益侵害』と捉えた上で、①社会的相当性を欠くかどうかは、行為そのものだけでなく行為者の内心、すなわち、どういう意図でその行為を行ったのかを考慮しなくては判断しえない、という理由から正当防衛の成立要件としての防衛の意思を肯定します。すなわち、その行為者の主観面に悪性が認められない限り違法性の存在を肯定できないのです。
 この考え方の下では、行為者の主観的要素はその他の客観的要素と肩を並べる、実質的違法性の「有無」を基礎付ける要素となっています。客観面だけが実質的違法性の有無を基礎付け、行為者の主観的要素については違法性の程度を左右するに過ぎないのだとする考え方は、まさに、実質的違法性を客観的要素のみからなるものであると捉える結果無価値論側からのアプローチであると思います。
 
 2点目についてですが、折衷的相当因果関係説は、行為無価値論の立場から説かれる学説です。そして、この論者は、「因果関係は構成要件該当性の問題であり、構成要件は違法行為類型であり、違法な行為か否かは行為者の主観も加味しなくては判断できない」ということで、一般人が認識し得た事情、および、行為者が特に認識していた客観的事情を起訴事実として取り込みます。
 ここの理由づけから規範へのつながりが論理的かどうかはよくわからないのですが、少なくとも、「違法な行為か否かは行為者の主観も加味しなくては判断できない」という部分は、実質的違法性の内容は「社会的相当性を欠く」法益侵害であり、社会的相当性の有無については行為者の主観を加味せずには判断できないと捉える立場を前提とするからこそいえることなのではないでしょうか。
 
 そもそも、実質的違法性の有無につき行為者の主観面も加味するのが行為無価値論であり、実質的違法性の有無につき、客観的な要素のみから判断できるとするのが結果無価値論です。この実質的違法性の捉え方の違いが、構成要件段階においても反映され、行為無価値からは行為者の主観面も加味する折衷的相当因果関係説が取られ、結果無価値からは客観的に存在した一切の事情を考慮しつつ行為者の主観を加味しないという客観的相当因果関係説が提唱されることとなった、というのが僕の理解です。
 このように、実質的違法性の内実につきいかに理解するのかと、違法行為類型たる構成要件の充足の有無の判断方法とは、密接不可分・連続的なものであって、両段階における違法性を、それぞれを完全別個に考えることは適切でないし不可能であるように思います。
 事実、井田教授は、通説の言う「構成要件」と「違法性」の2つを1つのステップにまとめる、という『消極的構成要件』なる学説を提唱しています。これは、上で書いたような構成要件充足の検討と実質的違法性の有無の検討とが密接不可分であることを前提とした考え方であるように思います。

 会社法大好き。さんがベースにしておられる基本書あるいはテキストの著者は誰でしょうか?参照できると理解が捗りそうなので、教えていただけると嬉しいです。

 長文になりましたが、いかがでしょうか。こういったやりとりをすることもブログをはじめる上で重要な目的でありましたので、今回コメントいただけて非常に嬉しかったです。ありがとうございました。
とんちんかんな質問です。
恐れ入ります。会社法大好きです。


①につきましては、お時間くださいませ。


②についての質問です。


「違法の連帯 責任の個別化」の法理は専ら狭義の共犯においてのみ問題となっている観があります。当たり前といえば当たり前のことですが…。


その根拠について考えてみるに①狭義の共犯が処罰されるのは、正犯の違法な行為を通じて間接的に法益を侵害するものであるから。②責任は元来各人への非難可能性であり個別的に解するべきであるから。という点を挙げることができると思います。


それでは、「違法の連帯 責任の個別化」の法理は共同正犯においても妥当すると解するべきなのでしょうか。

結論から言えば妥当し得ないと解するべきだと思います。共同正犯を正犯と解する限り(僕としては、一部実行・全部責任の内実として心理的教唆・幇助の関係を全く認められないのかという観点から疑問ですが…。)基本的には対等の立場で犯罪実現へ寄与するのであり、狭義の共犯のように一方的な従属の概念で捉えられるべきではないからという点を挙げることができると思います。ということは、共同正犯においては違法性段階で吟味されるべき実質的違法性は連帯しないということになります。この点につきましては、共同正犯者間において一方には正当防衛(36条1項)として違法性が阻却され、他方は過剰防衛として刑が減免される場合があるわけですから…。


それでは、違法性の段階で吟味されるべき実質的違法性は連帯しないと解しながら、共同正犯は特定の構成要件(違法類型)に該当する行為の共同(犯罪共同説)であるとして構成要件の段階では違法性の連帯は認めるのはなぜなのでしょうか。

実質的違法性における違法性と構成要件における規範的要素が同質的なものであるとするならば整合性が図れないように思うのですが…。


失礼いたします。

  • 2012/03/09 01:42
  • 会社法大好き。
  • URL
質問について
申し訳ありません。ここ2~3日、バイトやらオリエンテーションやらが立て込んでいて返事が遅れてしまいました。今回の回答も長くなってしまいましたがご容赦ください。稚拙な文章となっていますので、プリントアウトした上で整理しながらじっくり読んでいただいたほうが、もしかしたら良いかと思います。

 質問についてですが、僕もまだこれからローで本格的に法律を学んでいく身ですし、学部時代に刑法ゼミに入っていたわけでもなく、まして、学者の道を志しているわけでもないので、正しいかどうかについては保証はありません。あくまで、いち受験生のぼやきだと思って聞いてください。



 まず、僕が、会社法大好き。さんの質問につき若干違和感を感じたところから指摘させていただきます。

 会社法大好き。さんは、『「違法の連帯 責任の個別化」の法理は専ら狭義の共犯においてのみ問題となっている』根拠について、『①狭義の共犯が処罰されるのは、正犯の違法な行為を通じて間接的に法益を侵害するものであるから』と書いておられますが、これは論理の流れが逆だと思われます。

 ①は、「正犯についての違法性阻却が狭義の共犯にも影響を及ぼす」という結論を導くために用いられる理由です。『狭義の共犯が処罰される根拠は、正犯の違法な行為を通じて間接的に法益を侵害するという点にあるのであるから、正犯について違法性が否定された(正犯の行為が「違法な行為」といえない)場合には狭義の共犯について処罰する根拠を欠く事になる。従って、正犯について違法性が阻却された場合には狭義の共犯についても違法性が阻却され不可罰となる』という理屈ですね。

 これだけ読むとなるほどーとなってしまいますがよくよく考えてみてください。この理屈の骨格だけ取り出してみると、『狭義の共犯が処罰される根拠は、正犯の違法な行為を通じて間接的に法益を侵害するという点にあるのであるから…狭義の共犯についても違法性が阻却され…る』というようになっています。

 この前半部分は次のように言葉を補って理解することができると思います。すなわち、『狭義の共犯が処罰される根拠は、(狭義の共犯の行為もまた)正犯の違法な行為を通じて間接的に法益を侵害する(違法行為である)という点にある』。こう理解するからこそ、正犯の行為が「違法な行為」とは言えなくなった場合には、『狭義の共犯についても違法性が阻却される』という結論に結びつけることができるのです。つまり、『違法性が阻却される』という表現は、『正犯の行為が「違法な行為」である場合には、狭義の共犯の行為についても違法なのだ』という理解を前提としたものなのです。

 この考え方はまさに、正犯にとって違法な行為(=社会的相当性を欠く法益侵害行為)を助けた者の行為もまた違法なのだという、違法性連帯原則の考え方です。

 ここまでで、「論理の流れが逆」という意味を理解していただけたでしょうか。①というのは、違法性連帯の原則を前提として初めて理由となりうるものなのであり、ここは、

(違法性連帯の原則)→理由①→結論(正犯の違法性阻却が従犯にも連帯する)
 
という論理になっているのです。そういうわけで、違法性連帯原則が従犯が問題となる場合にのみ論じられる、その理由として、①を持ってくるというのは、論理的に逆であり誤りであると思います。

 会社法大好き。さんのおっしゃるとおり、従犯の場合と共同正犯の場合では「違法性連帯原則の適用があるかどうか」につき違いがあります。もっとも、問題の本質は、「なぜ、共同正犯につき違法性連帯原則の適用がないのか」ではなく、「なぜ、従犯につき違法性連帯原則が適用されるのか」という点で、これが記事の問題意識のスタートラインです。(これを突き詰めていくと結局、「行為無価値論における、違法性連帯原則の根拠はどこにあるのか」という疑問に行き着くのだと思います。)この意味で、共同正犯につき違法性連帯原則が適用されない理由について考えること自体には意味はないと思います。正犯を比較対象としつつ従犯について考える、というのはアリだと思いますが。

 これに対して、おそらく会社法大好きさん。は、「共同正犯においては、行為者はそれぞれが対等の関係にあるのに対して、従犯は正犯に従属するものなのだから違法性連帯原則の適用があるのだ。『従属性の有無』という本質的差異に着目しつつ、共同正犯を比較対象として従犯につき検討を加えてみる余地はある」と考えておられるかと思います。

 あらかじめ整理しておくと、従犯の従属性の概念は①実行従属性、②要素従属性、③罪名従属性とに分けられます。今回は③は関係ないのでおいておきます。
 ①については、現在の刑法は、刑罰論において応報刑論(刑罰の本質を応報にあるとする見解)を採っていますので、行為無価値の立場からも、共犯従属性説が肯定されています。
 やっかいなのは②ですね。予備校では、正犯につき構成要件該当性&違法性阻却事由の不存在が認められて初めて従犯が成立しうる、責任については個別に判断する、という制限従属性説を推奨されます。井田教授によればこれが通説とされます。

 (これ、今書きながら気づいたんですが、厳密に言うと、制限従属性説の立場に立った場合、「正犯につき違法性が阻却された場合に従犯についても違法性が阻却されるか」なんて話は出てこないんですよね(^^;)正犯につき違法性が阻却されたら、そもそも従犯は全く成立する余地がないわけですから。これは極端従属性説にも当てはまりますね。とすると、違法性阻却の連帯の話というのは、最小従属性説にたった場合にしか論点として出て来えないですね。そして、後述のように違法性連帯原則を前提とするのは制限従属性説でありますので、最小従属性説からは違法性(違法性阻却事由)の連帯は否定されることになるでしょう。これは回答を考える中での思わぬ収穫でした。)

 ちょっと脇道にそれましたが、制限従属性説の話に戻りましょう。考えてみると、制限従属性説にたった場合に、改めて違法性連帯の原則について書くチャンスがなくなるのは当たり前のことです。というのは、「制限従属性説を採用する」という選択をする過程で、これまた違法性連帯原則が前提とされているからです。

 制限従属性説の論者(井田『広義刑法学・総論』p.441)は、
 ①まず、最小従属性説につき、「違法評価は原則として関与者の全体に連帯的に作用する性質のものであり、正犯者の適法行為(たとえば、正当防衛行為)に関与したものが共犯として処罰されるのはおかしい」と批判し、
 ②さらに、極端従属性説については、「責任があるかどうかは行為者ごとに個別的に考えられるべき」だとして批判します。

 出ましたね、違法性連帯原則。制限従属性説は違法性連帯原則を前提とする学説なのです。ここでの論理は、違法性連帯原則→制限従属性説、という流れになっています。
 したがって、「従犯については正犯との間に従属性があるから、違法性連帯原則の適用が認められるのだ」というのは、やはりここでも論理が逆になっています。違法性連帯原則を前提とするから(制限従属性説の下で)従属性が認められる、というのが正しいはずです。


 次に、『それでは、違法性の段階で吟味されるべき実質的違法性は連帯しないと解しながら、共同正犯は特定の構成要件(違法類型)に該当する行為の共同(犯罪共同説)であるとして構成要件の段階では違法性の連帯は認めるのはなぜなのでしょうか。実質的違法性における違法性と構成要件における規範的要素が同質的なものであるとするならば整合性が図れないように思うのですが…。』という部分に答えようと思います。

 これは理解が不十分であるように思います。犯罪共同説は違法の連帯を認めるものではありません。そもそも、「違法性が連帯する」というのは、Aについて違法性が認められれば無条件でBについても違法性が認められ、Aについて違法性阻却が認められれば無条件でBについても違法性阻却が認められる、ということを意味します。共同正犯は、2人以上のものが、共謀(共同実行の意思)の下で、共同して犯罪を実行(共同実行の事実)したために成立するもので、各自は自ら違法行為を行なっているのであり、一方の者の行為が違法か否かにより自分の行為の違法性が影響を受けるわけではありません。もしこの説明で不十分なようでしたら、共犯者をABなどと置いたうえで、具体的な構成要件と事案を想定して不都合性を説明して頂ければ、それに沿ってお応えしようと思います。
 ただ、共謀共同正犯については若干議論の余地があるかと思います。上で見たように、共同正犯の成立要件は①共同実行の意思、②共同実行の事実ですが、共謀共同正犯とは②の共同実行の事実の要件をいくらか緩和した類型だと捉えることができると思います。すなわち、2人による共謀共同正犯においては、「形式的には」実行行為を行なっているのは1人であるにもかかわらず、その行為を、『相互利用補充関係』を理由として、「実質的には」2人で共同しておこなったものだと認定して②要件をクリアするというのが共謀共同正犯なのです。こう考えると、「実質的には」どうあれ、「形式的には」2人のうち1人しか行為をおこなっていないため、ここに狭義の共犯における実行従属性に似た関係を見出すことができます。その限りにおいて、実行担当者の行為については、連帯「的」な関係は観念できないこともないかもしれません。
 もっとも、これは共謀共同正犯というある意味例外的な類型での話であり、一般論・抽象論に対して批判を投げかける上で用いる例としては適当でないと思いますし、やはり、「実質論」で説明すれば(実質的に見れば、「2人とも行為をおこなっていないか、2人とも行為をおこなっているか」という二者択一であり、一方の行為が他方に影響を及ぼしているわけではない)、構成要件段階での違法連帯は共謀共同正犯においてもありえないと説明することも可能だと思います。

 さらにそもそも論になりますが、犯罪成立要件というのはもともと「違法」「責任」の2つしかないのです。そのうちの「違法」な行為が、国民の自由保障機能の観点から類型化されたものが構成要件です。すなわち、構成要件の母体は(実質的な)「違法」なのであり、両者は切っても切り離せない関係にあるものです。このあたりは井田先生の教科書の導入部分だけでも読むとスッキリするかと思います。

 前回のコメントでも書いたのですが、もしよろしければお使いの基本書を教えていただけないでしょうか。もしかしたら、その著者と井田先生とでは、構成要件と違法性の関係につき全く違う捉え方をして説明しているのかもしれませんので。

 ちなみに、僕が違法性の連帯について最初に疑問を持ったのは、平成4年の問題を検討した上で、後日、未遂の教唆(教唆者が未遂で終わらせる意図で正犯者を唆した場合に、教唆犯につき結果についての認識・認容がないにもかかわらず故意が認められるかという問題)について考えていた時だったと思います。
 Aから見たら違法なのにBから見たら適法、みたいな考え方って、不能犯と未遂犯の区別における具体的危険説や、折衷的因果関係説の箇所では普通にありえる考え方ですよね。なぜなら、判断の基礎事情として「行為者が特に認識(・予見)していた客観的事実」を取り込むことが許されるがために、だれが「行為者」であるかによって考慮すべき基礎事情がちがってくるということが当然にありうるからです。
 これをもろに問うてるのが旧試平成4年第1問でした。被害者が血友病を患っていることを、殺人の正犯者はしらなかったが、教唆者は知っていた、という問題です。実行行為(殺害行為)はひとつしかないのに、折衷的因果関係のあてはめのところで、甲との関係では相当因果関係が否定されて未遂となるのに対し、乙との関係では肯定されて既遂になり、誰の視点から見るかで違法評価の程度がかわってきてしまうのです。この視点は、「Aが小麦粉を毒薬と間違えて(一般人であれば間違えないことを前提とする)、殺人の故意を持ってその小麦粉を被害者に飲ませることをBに教唆した。Bは見てすぐにこれが小麦粉であることに気づき、被害者が重度の小麦アレルギーであることを知りつつ、殺人の故意を持って小麦を飲ませた結果、被害者はショック死した。なお、Aは被害者の小麦アレルギーにつき知らなかった。(完全オリジナル説例です、ちょっと考えてみてください。)」という事例でも応用できるでしょう。

 この一方で、未遂の教唆についてはその成立を認めてしまうのが通説のようです。理由は、(正犯の行為を構成要件に該当し違法なものと認定した上で)その行為を介して法益侵害の現実的危険性を惹起したから、だそうです。否定説も故意を否定します(結果に対する認識・認容がないので)。
 でも正直、「???」という感じです。なんにも保管されてないことを知っていて倉庫に忍び込ませたのに窃盗未遂の教唆が成立しちゃうんですが、この場合って、教唆者の視点から見たら、窃盗罪の保護法益である財物の占有権なんてこれっぽっちも危険にさらされてないはずなんですよ。そしたら、故意を検討するまでもなく、「教唆者との関係では」正犯者の行為は『法益侵害惹起の現実的危険性を有する行為』たる実行行為に当たらないのではないでしょうか。

 とまぁこのあたりが気づきの発端でした。上に挙げた論点や問題を確認するだけでも、僕の持っている疑問をだいぶ理解してもらえるんじゃないかと思います。
堂々巡りの質問で申し訳ございません。
①につきまして…。「違法評価は原則として関与者の全体に連帯的に作用する性質のものであり、正犯者の適法行為に関与した者が共犯として処罰されるのはおかしい。」という論述を前提にして質問させていただきます。


「違法は連帯に 責任は個別に」の原則。→違法性は客観的事情を基になされる評価であるからすべての者に共通するが、責任は各行為者の非難可能性の問題ゆえに個別的に判断すべきである。→ 「違法の連帯 責任の個別化」の原則を維持する限りにおいては、構成要件該当性と違法性についての従属性を認める制限従属性説を支持しうることにになる。その反射的効果として最小限従属性説は否定される。 という流れになるのかな?と思います。


それでは、誰との関係においても変化しないという違法性の実質はいかように解するべきかということが問題になってくると思うのですが、その場合に行為無価値論と結果無価値論の相剋ということになるのでしょうか。誰との関係においても変化しない違法性の実質は、法益侵害又はその危険性(結果無価値論)に求められるべきである、ということにになり、行為無価値論において「違法連帯」原則は妥当すべきかという問題は出て来ないような気がいたします。言い換えれば「違法の連帯 責任の個別化」原則は結果無価値論を採用する場合の当然の帰結、極論すれば根拠というべきであって行為無価値論とは別個の問題ということになるような気がします。


②につきまして…。甲と乙が共同してAを殺害したが、甲には正当防衛(36条1項)が成立し、乙には過剰防衛(36条2項)が成立する場合、両者を個別的に判断するということになるのであれば、結果的には適法行為と違法行為との共同正犯を認めるということになります。
違法性が阻却され結果的には適法行為であったとしても、構成要件該当行為の段階における共同実行の事実によりなお共同正犯とされるということになるのでしょうか。

う-(;_;)。といった感じがいたします。

※誤解を招く記述で申し訳ございません。僕は法学部の学生ではありません。申し訳ございません。ゼミも経営管理論です。但し周辺領域として会社法も勉強します。

従いまして基本書というものは司法試験の科目につきまして一冊も持っておりません。強いて申し上げれば、判例百選がベースでわからないところは図書館で調べるという感じです。

本当に申し訳ございません。

失礼いたします。
  • 2012/03/14 00:19
  • 会社法大好き。
  • URL
 マジですか、予備校でもなく完全独学ですか?それは凄すぎる…法学部にいながら大学での授業をサボっていた僕は頭があがりません(_ _;)是非、ロースクール受験頑張ってください!

 ①については、

>「違法は連帯に 責任は個別に」の原則。→違法性は客観的事情を基になされる評価であるからすべての者に共通するが、責任は各行為者の非難可能性の問題ゆえに個別的に判断すべきである。→ 「違法の連帯 責任の個別化」の原則を維持する限りにおいては、構成要件該当性と違法性についての従属性を認める制限従属性説を支持しうることにになる。その反射的効果として最小限従属性説は否定される。 という流れになるのかな?と思います。

>それでは、誰との関係においても変化しないという違法性の実質はいかように解するべきかということが問題になってくると思うのですが、その場合に行為無価値論と結果無価値論の相剋ということになるのでしょうか。誰との関係においても変化しない違法性の実質は、法益侵害又はその危険性(結果無価値論)に求められるべきである、ということにになり、行為無価値論において「違法連帯」原則は妥当すべきかという問題は出て来ないような気がいたします。

 ここはまさにこのとおりであり、おそらく僕が言いたかったことと合致していると思います。しかし、行為無価値の立場の教科書でも違法性連帯原則は当然の前提のように書かれています。これがおかしいのではないか、というのが今回の記事の核たる疑問でした。


>言い換えれば「違法の連帯 責任の個別化」原則は結果無価値論を採用する場合の当然の帰結、極論すれば根拠というべきであって行為無価値論とは別個の問題ということになるような気がします。

細かい点かもですが、ここはちょっと不正確かと思われます。(僕が理解する限りでは、)結果無価値論と行為無価値論の対立、すなわち違法性論は、刑罰論・刑法論での考え方に由来するものであります。なので、違法連帯・責任個別の原則が結果無価値の根拠となる、というのはこれまた理屈が逆転しているかと思います。法律学は、根拠、本質、実質、帰結、機能といった言葉の使い分けに敏感ですので、これらの言葉を使う際には注意が必要かと思われます。

 ②については、あまり深く考えたことがなかったのですが、結論としてこれは構成要件段階ではじかれて共同正犯が成立しないんじゃないですかね?甲について違法性が阻却された(責任が認められなかった場合でも良いのですが)ということは、結局、甲の行為は「犯罪」ではなくなり、甲と乙は「犯罪」を共同したとは言えなくなり、共同実行の事実を欠き共同正犯の構成要件が充足されない結果、甲乙に殺人罪の共同正犯は成立しない、ということになると思います。(他の考え方もあるかもしれませんが、試験で出たらこの処理で十分通用するでしょう。)

 注意して欲しいのは、この場合にも乙には殺人罪の単独犯は成立する可能性はあるのであって、甲についての違法性阻却は乙の行為の違法性に影響を及ぼしてはいないということです。甲乙の共同正犯不成立→乙不可罰、ではありません。こう考えれば、甲から見た場合は当然として、甲の行為は構成要件段階でも違法性段階でも適法な行為であったのであり、そこに矛盾はありません。

 どうでしょうか。でも、②を最初に読んだときには、正直、「あれ、なるほど」と思ってしまいましたので、難しいところだと思います。もし、これでも疑問が晴れないようでしたらまた返信ください。

 基本書をもっていないということでしたが、刑法総論については、基本書ごと独自カラーが強く、少なくとも一冊の考え方をひととおりマスターするまでは、つまみ食い的な使い方は、体系的理解の妨げになり、よろしくないかと思います。何冊か基本書を借りてきて目次を見比べると、「原因において自由な行為」や「錯誤」の項目の体系的位置づけが本によってまちまちなのがわかると思います。これが異なっている教科書同士では、そもそも提供する思考枠組みに違いがあるのです。少し高いのですが、もし余裕があるのであれば、判例を紹介しつつ実務から離れずに刑法総論の考え方を概説している、「刑法総論考議案(司法協会)」だけでも傍らにおいておくことをオススメします。これは、文体も軽く、2~3日もあれば読み通せてしまうくらいライトな本ながら、試験対策上は必要十分な記述がなされています。図書館にも置いているかもいれないので、ぜひ一度手にとってみてください。
ご教示いただきありがとうございました。
私ごときの拙い質問に懇切丁寧にお答え頂き誠にありがとうございました。本当に感謝いたしております。

「慶應義塾大学のロースクールは別格で本当に優秀な方しか入学出来ない。」とは常々伺っておりましたが、今更ながら改めて認識させていただきました。

僕としては、適性試験と法律科目に大変な不安を抱えておりますので、思い上がった言い方ですが、入れていただけるロースクールがあればたとえ司法試験に毎年1人しか合格しないところであっても喜んで行かせていただこうと思っております。

とにかく勉強できる時間はすべて勉強に充てる気持ちで頑張ろうと思います。

またご指導いただきましたら幸いです。ありがとうございました。

  • 2012/03/16 00:00
  • 会社法大好き。
  • URL
 いやいや、そんなことないですよ。基本的なことをしっかりおさえていけば必ず受かります!この記事のような議論に深入りせず(笑)、とにかく淡々と基本を固めてください!他学部で自習でここまで話せるというのはすごいと思います。

 またなにかありましたらいつでもどうぞ。応援しています!
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