「間接的規制と付随的規制」と保護領域論

  • Day:2012.03.17 03:18
  • Cat:憲法
 しばらく更新していませんでした。当初は毎日更新しようと思っていたのですが、記事の内容をそれなりに厚みのあるものにしようとするとそれなりに時間がかかってしまうし、また何より管理者がぐうたら気紛れ野郎なので、今後ブログは不定期的に更新していくことになるかと思います。


 今回は、憲法上の権利の間接的規制と付随的規制についてです。これは僕自身が宍戸連載(人権と総合演習の箇所)を読み返していて、2周目にしてようやく何となく理解できた点についてのメモ書き的なものでありますので、同連載をすでに読みこなした方としては当然のことをつらつら書いた記事ということになりますのでご了承ください。

 宍戸教授によれば(『解釈論の応用と展開』(以下、『宍戸本』とする) p.39)、「付随的」とは、意見とは異なる弊害の抑止を狙った規制の結果、偶発的に意見表明の自由に制約が及んだことをいい、「間接的」とは、行動の結果としての弊害が直接的な規制対象だから、意見表明の自由の不利益の程度は小さいはずだということを指すとされます。が、ちょっとわかりにくいかと思います。ですので、少し噛み砕いて僕自身の言葉で説明してみます。(噛み砕き方が間違っている可能性があることはご承知おきください&間違いのご指摘はありがたく頂戴いたします。)


 まず、「間接的」とは、いうまでもなく「直接的」の対義語です。なので、権利の「直接的」制約とはどういうものなのかから考えると理解しやすいと思われます。
 憲法上の権利の直接的制約とは、国家行為による第一次的な規制対象が憲法上保障される行為である場合をいいます。現在の日本においては現実的には有り得ないですが、「○○党に批判的な政治的発言をした者は懲役3年以下に処す」という法律(法令)及びこれに基づく処分なんかは、21条1項により保障される政治的表現行為をメインターゲットとしたものですから文句なく直接的制約に当たります。
 では、これと対比される「間接的」制約とはどのようなものなのかについてですが、憲法上の権利が間接的に制約されるということは、裏返して表現すれば、第一次的に制約される権利は憲法上の権利ではない、ということにほかなりません。第一次的に制約されるのは憲法上の保障を受けない権利(以下、一般的行為とする)であるにもかかわらず、その一般的行為が制約された結果として、第二次的に、憲法上の権利も制限されることになってしまった場合、これが「間接的」制約、ということになります。

 次に、「付随的」の意味についてですが、こちらのがわかりにくい気がします。(これは、「付随的」という語に対義語がない点に起因すると思います。もしあるのなら是非教えていただきたいです。)
 上述の、直接的・間接的という概念同士は二者択一的な関係にあり、両者は「PでないならばQである」という関係にあります。とすると、「付随的」という概念は、直接的・間接的という概念と並列的な概念では有り得ず、別の観点から定義されるものだということになります。もっとも、間接的制約と付随的制約とはまったく関係性のない概念であるというわけでもないと思います。
 僕のイメージとしては、「付随的」制約というのは、ある一般的行為を制約したら、偶発的に、憲法上の権利を制約する結果が生じてしまった場合を指します。こう考えると、『付随的制約=偶発的な(想定外の)間接的制約』という感じになるので、間接的制約の集合をPとおき、付随的制約の集合をQと置くと、両者は「P⊃Q」の関係にあるということになり、命題「Q(付随的制約)ならばP(間接的制約)である」は真であるということになると思います。
 これを前提とすると、宍戸本39ページ後半から40ページにかけての記述が容易に理解できます。該当箇所をごく単純化すれば、『付随的制約=間接的制約+偶発性』なのだから、間接的制約だからといって必ずしも付随的制約といえるわけではない、ということになるのではないでしょうか。(宍戸教授が、「付随的制約ではあるが間接的制約ではない」という場合(=直接的かつ付随的制約)を想定しうると考えておられるのであればこの理解は誤りということになりますが。)


 ここまで、間接的制約と付随的制約の概念について検討してきました。最後に、これらの概念と保護領域との関係について検討したいと思います。(宍戸本 p.130以下参照)

 間接的制約も付随的制約も、憲法上の権利の「制約」であることには間違いありません。結局、直接的制約と、間接的制約及び付随的制約との分水嶺は、『第一次的に制約される行為が憲法上の保障を受ける行為なのか否か』という点にあります。したがって、一次的に制約されている行為が憲法上の人権規定の保護領域に属するものか否か、これについてどのように判断するかによって、当該国家行為が直接的制約に当たるのか、それとも間接的・付随的制約に当たるのかが左右されるということになります。
 
 以上の理解を前提として、同書p.130の判例の整理に目を通すと、ものすごく頭の中がすっきりします。
 猿払事件についてだけ取り出して見てみると、同判決は、直接に規制の対象とされたのは「公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動(=意見表明行為=ビラ貼り行為)」であると認定した上で、同行動を禁止した場合には「同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎ」ない、としています。ここは、意見表明行為が第一次的に制約された結果として、意見表明の自由も制約を受けたという構図になっています。
 最高裁がこれを「間接的、付随的な制約に過ぎず」、と考えているということは、つまり、一次的な規制対象である「意見表明行為」については憲法上の権利の保障が及ばない一般的行為だと考えているということを意味します。意見表明行為という一般的行為を制約したら、(意図せずして)憲法21条1項により保障される意見表明の自由を制約する結果となってしまった、というように最高裁は考えたのです。
 
 この点につき、百選Ⅰ35ページで高橋教授は、同判決につき、「表現以外の行為を規制した結果、間接的・付随的に表現行為も規制される場合が生じたというより、公務員の政治的中立性を実現するために表現行為そのものを規制したというべきであった」とおっしゃっており、宍戸教授もこれに賛同しています(宍戸本 p.40)。これは、本事例における規制については憲法上の権利の直接的制約であると捉えるのが正しかったのだ、という主張ですが、この見解の対立は突き詰めると保護領域論での見解の対立に帰着します。すなわち、「意見表明の自由」のみならず、「意見表明行為の自由」まで憲法21条1項の保護領域に属するのだと考えれば、同国家行為は直接的制約行為に当たるということになるのに対し、裁判所のように「意見表明行為の自由」については同条の保障が及ばないと考えれば、間接的・付随的制約行為に当たるということになるのです。
 したがって、仮に答案上で猿払事件等を批判して、類似の規制につき直接的規制に当たると捉える立場に立つのであれば、保護領域論のレベルでの対立であることを明示した上で、意思表明行為についても21条1項の保障が及ぶことを説得的に論じることが求められることになるのだと思います。

 とりあえず今日気がついたのはこんなところでしょうか。あたりまえっちゃあたりまえなのですけど、あらかじめ整理しておくことは有用かと思います。やー、宍戸連載、面白いです。しかし、ほかの科目も勉強しなければ。。。
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抽象的権利と法律による具体化

  • Day:2012.03.12 15:16
  • Cat:憲法
 前回の憲法の記事の続きについてはまた時間があるときに書こうと思います。

 今日は、昨日電車の中で小山の作法を読みながらふと思ったことがありました。

 抽象的権利といわれる生存権について、立法をもって具体化はされているが、その程度が25条が要請するレベルに達しているか疑義があるというような場合には、国民の側で争っていっても基本的には勝ち目がない、すなわち国側は責任を問われない可能性が高い。

 それに対して、一旦立法によって実現された(たとえば経済的弱者に対する金銭給付)場合、これを縮減するためには比較的厳格な要件をクリアしなければ25条違反となる、すなわち、国側は責任を問われる可能性が高い。

 この議論というのは、一度生存権実現の方向にベクトルが伸びたら以降後退は許されない、というものであって、生存権実現についての不可逆性を示しています。一旦実現させたのであれば後戻りはできないよ、という感じ。これは一見、国民の権利保障に厚い考え方であるようにも見えます。

 しかしよくよく考えると、そうでもないような気がします。なぜなら、生存権の具体化は第一次的には立法府の判断に委ねられているからです。立法の前段階において「制度後退は原則として不可」とわかっていたら、立法府はどういう手法を採るでしょうか。後から縮減による修正を加えることができない以上、おそらく、一発目から十分な生存権実現立法はせず、それを下回るラインの実現からスタートして、その後そこに少しづつ上乗せしていって適切な給付ラインに到達することを目指す、というアプローチを採るのではないでしょうか。

 一方で、一旦立法により実現した給付の額を後から減らすことも自由にできる、ということになれば、立法府としても、とりあえず大きく出ておいて、あとで様子を見ながら縮減して適正なラインを探っていくというアプローチも選択肢としてありということになります。

 25条の精神からいけば後者のほうが好ましいでしょう。このように、制度後退を許すことにはメリットもあり、その裏返しとして、制度後退の禁止の徹底にはデメリットもあります。

 ではどうすればいいかといえば、最低限度の生活を実現する部分(1項)についてはその内容が比較的明確であるから、この実現についての立法府の裁量は狭いのに対して、それ以上のよりよい生活の実現(2項)についての立法府の裁量は広い、という、25条1項2項分離論の考え方を応用する手法が考えられると思います。すなわち、1項が保障する権利が立法をもって実現された場合には、それを縮減する際には厳格な要件をクリアしなければいけないとしながら、一方で、2項の保障内容を実現したものについては、その縮減についても立法府に広い裁量が与えられる、と考えるのです。こう考えることで、かなりの程度で、制度後退禁止によるデメリットを緩和できるのではないでしょうか。

 
 とりあえず今回実感したのは、今までの予備校の指導で与えられた思考枠組みがいかに硬直的なものだったかということです。生存権を実現する立法の具体的な中身を検討せずして、およそ、「生存権は一度立法をもって実現された場合、厳格な要件をクリアしない限りこれを減縮することは許されない」と考えるのはまずいのではないでしょうか。

憲法判断の方法に関わる概念整理(適用違憲等)

  • Day:2012.03.08 03:40
  • Cat:憲法
 (記事を書き始めてみたら、思った以上に時間と体力を浪費しました。とりあえず3月7日時点では頭の中のものを吐き出すのが精一杯なので、不正確な記憶が紛れ込んでいないか裏を取る作業は後日に回します。修正完了までは流して読んでいただけるとありがたいです。)

 今日図書館に行って宍戸連載の注釈を参考にして、いくつか文献に当たってみたところ、かなりハッキリと憲法判断の方法をめぐる概念の整理ができましたので、とりあえず今の時点での理解を暫定的に整理しておきたいと思います。高橋先生の「憲法判断の方法」や、市川先生の「適用意見に関する一考察」が図書館にはなかったため、この論文にはまだ目を通せていません。なので、後日これらを読んだ上で何か気づいたことがあった場合には補完していくことにしたいと思います。

 憲法判断の方法を関する概念を理解するうえでは、はじめに、1.『審査方法』と2.『憲法判断』とを全く次元の違う話であることを意識することが有益です。
 
 まず、審査方法としては、①文面審査、②適用審査、③処分審査があります。 
 
 次に、審査の結果下される憲法判断としては、(めちゃめちゃ)大きく分けて、①合憲、②法令違憲、②適用違憲、④処分違憲があります。
 
 ここで注意すべきは、文面審査→法令違憲、適用審査→適用違憲、というように、審査方法とそこから導出される結論は必ずしも一対の対応関係にあるわけではない点です。この意味については追って説明していきたいと思います。


1.審査手法について

 審査手法の分類から押さえていこうと思います。
 
 ①文面審査とは、「ある法令の「文面上の」合憲性(・違憲性)を検討する審査方法」です。
 ②適用審査とは、「法令の当該事件に『適用される限りでの』合憲性を検討する審査方法」です。
 ③処分審査とは、「法令の合憲性には踏み入らず、個別的・具体的国家行為の合憲性のみを対象とする審査方法」です。
(*『憲法の急所』の著者である木村草太教授は、処分審査、法令審査、二段階審査(法文審査+処分審査)という分類をしておられます。これとの概念の対応関係については後日考察したいと思います。)

 芦部教授は、「立法事実を特に検出し論証せず、法律の文面を検討するだけで結論を導き出すことができる場合」を「文面判断の手法」としていましたが、現在では、「司法事実(当該事件固有の事実)を考慮の対象とするのか否か」で①文面審査と②適用審査を区別すべきで、①文面審査において立法事実を考慮することは可能であると解されています。
 従って、①文面審査には、「漠然性のゆえに無効」「過度の広汎性のゆえに無効」等の理論のみならず、法律の規定の比例原則(広義)違反の有無の審査も含まれることになります。ちなみに、この意味での文面審査と区別するため、芦部先生のおっしゃる文面判断の手法を、「狭義の文面審査」ということがあります。
 ここで「適用」審査の言葉に引っ張られずに押さえておくべき点は、文面審査のみならず適用審査も「法令の合憲性」を審査するものであり、同審査から法令違憲・適用違憲の結論を導くものであるという点です。もう一度、適用審査の定義の骨子を確認してみましょう。「法令の…合憲性を検討する審査方法」となっています。
 このように、文面審査と適用審査は、法令の合憲性を審査するという点では共通しています。
 
 これと対置されるのが③処分審査です。①②と違い、処分審査においては法令の合憲性についての判断はなされず、もっぱらその具体的な適用行為の合憲性を審査します。従って、この審査方法からは法令違憲・適用違憲の結論が出る余地はなく、出得る結論としては、合憲または処分違憲の2択ということになります。(適用違憲の結論が出る余地がない、という部分についてよくわからないという方は、とりあえずこの記事を最後まで読み通してみてください。)あとでも繰り返しますが、処分審査を経て処分違憲の判断がなされる場合、法令自体の違憲性について踏み込んで検討されていることもあれば、なされていない(法令の違憲審査が回避されている)こともありますので、処分違憲の判断がなされたということは「必ずしも法令の合憲性が前提にされているとは限」(土井)りません。この点には注意しておきましょう。

 以上が「審査方法」の類型とその内容の説明です。


2.憲法判断について
 
 審査方法に比べると、こちらはだいぶ理解するのに苦労を要します。いきなり全類型をひとつひとつ提示していっても良いのですが、メリハリがなくなることを避けるため、まず、(1)マクロ的な概念整理をした上で、(2)ミクロ的な概念整理をしていく、という順で話を進めていきたいと思います。(2)については、僕自身の勝手な考え方が多分に含まれているので、興味のある方だけ付き合ってください。

(1)マクロ的概念整理

 先にも書きましたが、憲法判断は大きく分けると、①合憲、②法令違憲、③適用違憲、④処分違憲の4つに分けることができます。初めにそれぞれの定義を挙げておきます。

 ①合憲とは、法令・処分(法令の適用行為)について憲法に反しないということを示すものです。これについ  ては問題無いかと思います。
 ②法令違憲とは、「当該規定にはおよそ合憲的な適用の余地はないとする判断を示すもの」(野坂)です。
 ③適用違憲とは、「当該事件にかかる適用事実類型の限りで法令に違憲の瑕疵があることを認め、その範囲  で法令の効力を否認して、その適用を排除するもの」(土井)です。
 ④処分違憲とは、「法令が合憲であることを前提として、裁判を含めた公権力の権限行使(処分)そのものの  合憲性について審査を加え、意見との見解を示すこと」(戸松秀典『憲法訴訟』)です。
( *木村教授は、②③の概念を用いず、「法文違憲」「可分な意味の一部違憲」という概念を用いて整理しています。「法文違憲」は法令全部違憲に該当し、「可分な意味の一部違憲」は法令一部違憲+適用違憲に該当します。この点についても、後日改めてまとめてみたいと思います。)

 最初に、わかり易い④処分違憲から説明します。処分違憲とは、法令の合憲性については判断せず、問題となっている具体的な行為(処分)が違憲であることを認めるものです。
 定義では、『法令があることを前提として』とありますが、「法令に違憲の瑕疵があるとの判断を直接には含まないことが、「処分違憲」概念の徴表であり」、処分違憲の判断がなされたからといって、「必ずしも、法令の合憲性が前提にされているとは限」りません(土井)。つまり、処分審査・処分違憲の特徴というのは、『法令そのものの合憲性を審査しない』という点にあり、必ずしも処分審査の前提として法令自体が合憲であることが確認されているとは限らない、ということです。ですので、定義のこの部分は、『仮に法令が合憲であったとしても』くらいの意味で捉えておいて良いと思います。
 (また、よく似た概念に「運用違憲」なるものがありますが、この概念を別個に観念すべき必要があるかについては疑問が残ります。処分違憲と運用違憲の関係は、後述の、適用違憲と法令一部違憲の関係によく似ています。気になる方はご自分で調べてみてください。)

 処分違憲と対置されるのが②法令違憲及び③適用違憲です。法令違憲・適用違憲はともに、処分違憲と反対に、「法令に違憲の瑕疵が存するとの判断を直接に含む(土井)」ものであり、この点で共通します。では法令違憲と適用違憲はどのように異なるでしょうか、これを見ていこうと思います。

 まず、②法令違憲ですが、これについてはイメージしやすいと思います。いつ、どこで、どんな適用の仕方をしたとしても違憲となる、すなわち、合憲的な適用の場面というのが想定できないので規定自体が違憲である、というのが法令違憲です。
 この法令違憲の中にも、その規定全部が違憲となる『法令全部違憲の判断』と、当該適用条項の一部について効力を否認する『法令一部違憲の判断』とがあります。
後述するように、適用違憲の判断も、法令が違憲部分を含むということを内容とするものであるので、「広義には、適用違憲も、この法令一部違憲の1類型」であります。もっとも、「狭義の法令一部違憲は、裁判所により効力を否認される法令の範囲が適用事実類型を超えるという点において、適用意見と区別され(土井)」ます。つまり、適用違憲における違憲判断の射程は当該適用事案類型にしか及ばないのに対し、法令一部違憲の判断の射程は、一定の条件を満たす場面において広く及ぶということになります。両者はその違憲判断の射程の広狭によって区別されるということです。
 ちなみに、法令一部違憲は、法令の可分な文言の一部を違憲とする文言上の一部違憲と、法令の有する過分な意味の一部を意見とする意味上の一部違憲とに分類できます。
   
 ③適用違憲の説明にいきます。定義を見るとわかるように、現在では、適用違憲とは、法令に、当該事案に適用する限りでの違憲部分があることを認めるものと解されています。問題となっている具体的処分の根拠となっている一部分が違憲無効となる、ということです。(その結果として、具体的処分についても、違憲無効の規定を根拠とするもので法律の留保に反し違憲(違法)無効ということになります。)
 
 従来は、適用違憲は以下の3つに分類できるとされていました。(芦部『憲法(第5版)』p.376以下参照)
 
 (a)法令の合憲限定解釈が不可能である場合に、違憲的適用の場合をも含む広い解釈のもとに法令を適用する  ことは違憲であると判断するもの。(芦部第1類型)
 (b)法令の合憲限定解釈が可能であるにもかかわらず法令の執行者がその方法によることなく法令を違憲的に  適用した場合に、その適用行為が違憲であると判断するもの(第2類型)
 (c)法令そのものは合憲であるが、その執行者がこれを憲法に抵触する仕方で適用した場合に、その適用行為  が違憲であると判断するもの(第3類型)

 しかし、現在では(a)のみが適用違憲として捉えるのにふさわしい類型だとされています。
 (c)は法令の合憲性に問題がない以上、上で定義したような適用違憲の一類型であると捉えるのは不適切で、④処分違憲として別個にカテゴライズすべきです。
 (b)についても、限定解釈が可能であるにも関わらず、それをせずに除去されるべき法令の一部分を適用したというのは、「要するに法令の解釈適用を誤った違法があるといえば足り(野坂)」ます。(以下、私見なので読み飛ばしてもらっても構いません。間違った解釈の下に、ある規定を根拠として処分がなされたということは、すなわち当該処分については正当な根拠規定が無いことを意味するので、結局(b)のケースでも、法律の留保に反し違憲無効、ということになる気がします。まず有り得ませんし例として適切かどうかも微妙ですが、殺人罪の構成要件における「人」にはペットも含まれるという誤った解釈の下で、他人のペットを殺した人につき死刑を執行するという行為は、根拠条文を欠く処分であり法律の留保に反するものであるといって問題ないと思います。)

 繰り返しになりますが、このように、法令違憲と適用違憲はある法令が違憲部分を含むということを認める点においては共通するものであり、適用違憲は広義の法令違憲に含まれると捉えることも不可能ではありません。「法令違憲と適用違憲の区別は、法令における違憲の瑕疵の範囲および程度に関するもの(土井)」であり、これは結局、違憲判断の広狭による相対的な差異に過ぎません。

 ここまで、憲法判断についてのマクロ的概念整理でした。処分違憲と、法令違憲・適用違憲とはどこが違うのか、法令違憲と適用違憲とではどこが違うのか、という2つの視点が重要だと思います。


 (2)ミクロ的概念整理 については、後日に回したいと思います。体力的に限界なのと、文書に起こしているうちに色々と疑問を生じ始めたので練り直したいと思います。
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