久々更新!実行の着手時期

  • Day:2012.05.16 02:18
  • Cat:刑法
 超久々更新です。最初見てくれていた方ももう見に来てくれていないかもしれませんが。。。ネタがあればぼちぼち書いていこうかなーと思います。

 今日は実行の着手時期の話です。これに関して有名なのはクロロホルム事件です。クロロホルムを吸わせて気絶させ(第1行為)、車ごと海に転落させて死亡させる(第2行為)予定でそれを実行したところ、第1行為のクロロホルムの吸引が原因で被害者の志望結果が発生していた可能性が払拭できない、という事例です。(第2行為から発生していた場合にはまったく問題なく殺人罪が成立するので、ここで問題とされるのは第1行為から結果が発生したと仮定した場合の処理です。以下でも、第1行為から死の結果が発生したとの前提で話を進めていきます。)

 山口先生の弟子である某先生の説明いわく、クロロホルムは客観面での実行の着手の話ではなく、故意の話だということです。簡単に説明すると、まず客観面だけ見れば、大量のクロロホルムを吸引させる行為は人の死亡結果を発生させる蓋然性の高い行為ですから殺人罪の実行行為と評価することが可能です。この行為から被害者の死亡結果が発生したことに疑いはありませんから、殺人既遂結果との間の因果関係も認められ、何の問題も無く客観的構成要件要素の充足は認められるのです。

 問題は、行為者が第1行為から直接被害者を死亡させるつもりは無かったという点です。つまり、行為者は第1行為の時点で殺人行為を開始しているとは認識していない以上、殺人の故意を問えないのではないか、という点が問題になるのです。しかし、ここで、第1行為と第2行為を「一連の殺人行為」と評価できるのであれば、第1行為を開始したとの認識をもって「一連の殺人行為」を開始したとの認識ありということができます。

 ここがわかりにくいのですが、たとえば、弓矢の達人が、ギリギリとめいっぱい矢を引ききって(第1行為)、矢から指を離すことにより矢を飛ばして(第2行為)人を殺そうとしていたとします。弓を引く行為を始めて、まだ達人が充分だと思うまで矢を引いていない段階で手が滑って矢が飛んでいって人が死亡した場合、矢を引くという第1行為から人の死の結果を発生させるつもりはなかったのだといって達人に殺人罪が成立しないということになるのは明らかに不当です。これは、ここでは第1行為と第2行為とを分断してミクロ的に観察することが許されないからであり、「第2行為から死の結果を発生させるつもりはあったけれども、第1行為から結果を発生させるつもりは無かったんだ、だから第1行為の時点では殺人の故意なんて無かった」という言い訳が許されないからです。

 この考え方を応用したのがクロロホルム事件判決なのです。つまり、第1行為と第2行為を分断してミクロ的に観察することを許さずに、「クロロホルムで昏睡させて車ごと海に転落させて殺す行為」という一連の殺人行為と評価したうえで「この『一連の行為』によって被害者死亡の結果を発生させるつもりはあったんですか、なかったんですか?Yes or No?」と行為者に問うわけです。「いや、だからクロロホルムを飲ませる行為からは…」という言い訳はできません。もはや第1行為と第2行為というミクロ的な分断は許されないからです。そうすると、行為者の回答は「Yes」ということになります。この操作を経て、ようやく殺人の故意があったと認められます。

 「え、でも、それって故意が認められるための認識対象たる客観面の実行行為を引き伸ばしてるんであって、やっぱり客観面での実行行為の話なんじゃないの?」という方もいらっしゃるかもしれませんが、早すぎた構成要件実現の話というのは、クロロホルム事件において現実には第2行為が行われなかった場合にも妥当する話であることを見落としていると思います。たとえば、クロロホルムを吸引させて車で海まで運んでいた時点で、「あれ?こいつもう死んでね?」と犯人たちが気がついて、そのままつれて帰ったという場合です。この場合、意図せず第1行為から死の結果は発生していますから早すぎた構成要件実現の話になることに間違いは無いのですが、客観的には第2行為が行われていない以上、客観面で第1行為と第2行為の一連一体性という話はできないのです。

 よって、クロロホルム事件は故意の枠内での、行為者の計画から見た実行行為の幅の話ということになります。「故意の枠内での実行の着手時期」が問題となっているということです。イメージとしては「主観の中での客観」というか。現時点では理解できましたが、僕もこれを理解するまでにはものすごく時間がかかりました。以上を踏まえて、調査官解説を読んでみるといいことがあるかもしれません。

 
 と、ここまでは実は前置きだったのですが、結構長くなったので続きは後日に。今、僕が悶々と考えているのは、男女が家で別れ話をしていたところ、女が男の気を引くため、そのつもりは全くないのに「別れるくらいなら死んでやる!」といってガソリンを頭からかぶって、それに驚いた男がとりあえずその場で折れて結局何事も無かったという場合、あるいは、銀行強盗が、火をつけるつもりは全く無いのにもっぱら脅迫目的でガソリンを撒いて金を巻き上げ逃走、火事は起こらなかったという場合に、女や強盗に放火未遂罪が成立するって結論は妥当なのかどうか、という点です。悪い意味ではなく、あくまで素朴に、素人的に考えた場合どういうことになるんでしょうか。まったく着火行為を行うつもりはなくて、脅すために、あるいは悪ふざけでガソリンを撒き散らしたら放火行為を開始してるっていえそうですかね。うーん。わからないし明日早いので寝ます。

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行為無価値と違法性連帯の原則

  • Day:2012.03.03 01:55
  • Cat:刑法
 法律エントリ一発目としては前々から疑問に思っている刑法上の原則について書きたいと思います。勉強不足で、まだ自分の中でも結論を出せずにいる疑問点なので、ブログを見てくださっている方の中に詳しい方がいらっしゃったら、是非、コメントをいただきたいです。

 「違法は連帯的に、責任は個別的に」。前半が違法性連帯の原則を指していて、正犯につき違法性が阻却される場合に狭義の共犯についても違法性が阻却されるのか、という論点等で理由付けに使われます。
 
 この違法性連帯の原則は行為無価値論を採用した場合にも、なお妥当するものなのでしょうか。
 
 原則的な結果無価値の立場においては、構成要件該当性・違法性阻却の検討の段階では主観的要件は取り入れず、あくまで、違法性の有無は客観的要素から判断しようとします。客観的要素とは、誰から見ても変わらない絶対的・事実的なもの(「甲がナイフで乙を刺した」「乙が死亡した」等)であり、従って、これを基礎として判断される違法性も、客観性・絶対性・事実性を持ったものとなります。結果無価値の下では、誰の目から見ても違法は違法であって、ここに「違法は連帯的に」の原則の根拠を見いだすことができます。

 一方、行為無価値の立場においては、違法性の有無を判断するためには行為者の主観的要素を加味することが必要だと考えます。行為無価値の下での違法性概念は、主観的・相対的・規範的なものです。大谷先生は防衛の意思に関してはその連帯性を否定していますが、この考え方は、行為無価値論の下でも違法性連帯の原則が妥当するのか、その理論的根拠が怪しいことを示唆しているように思います。
 また、行為無価値の立場から説かれる折衷的相当因果関係説の下では、行為者によって因果関係の有無につき差が生じることが少なからずあります。この結論が正当化されるのは、因果関係という構成要件要素は、事実的なものではなく規範的なものであると理解されているからです。ここではまさに、違法要素を「個別的に」検討することが自然視されています。

 行為無価値の井田先生の教科書でも、特にこの点について詳細には触れていませんので、試験対策上はそれほど実益のある議論ではないのかもしれません。。が、答案に書く以上は、前もってしっかり理解しておかないと気持ち悪いですね(^^;)
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